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2005年8月12日 (金)

人生を左右した言葉

人の言うことにあまり感激とかしない私であるが、いまだに忘れられない言葉がある。

大学を出て就職した鉄鋼メーカを、レースがやりたいという変な理由で退職することになった。一ヶ月で250時間を越える残業をコンスタントにやっており、きちんと仕事をしている自負があった。同居していた祖父が亡くなった直後のお盆も、会社の研究所でずっと過ごしていた。親類からは

「じいちゃんが亡くなったとに、お前は会社に行くとか」

と白い目で見られたが。。。
放射温度計の分野で2件の特許も取得して、「俺はすげぇだろ」みたいなことを思っていた。

で、上長の係長から辞める意思の最終確認があったが、その時に係長が言ったのは

「あなたは自分がやってきたことを自分で素晴らしいと思ったり誇らしく思っているかもしれないが、自分で思うほど周囲は評価していないものだ。自分で自分の評価をすることはできない。」

という意味のことを言われた。正直、「何言ってるんだ」と憤慨した。若かったし。この「素晴らしい俺様」を否定するとは何事だ、と思った。

何年も経って。。。
自分にとって、とてもとても重い言葉となっている。
どんなに頑張っていると自分で思っても、それを自分で評価してはいけない。そこで満足をしてはいけない。周囲だってみんな頑張っている。自分のことが良く見えるだけである。常にその先を目指してもっと頑張らないといけない、と思うようになった。

その係長は、その後独立して会社を興したと聞いた。
係長は高卒だったから余計に驚くとか、そんなことをいう気は毛頭ないが、偏微分やラプラス変換、量子力学などに関しても、全て私よりも上だった。あの人なら会社くらい興せるだろうな、と思った。

いまだに超えられない存在。

転職を契機に口八丁のITの世界に転進した私であるが、分野は違えど、係長を超えたという気が全然しない。まだまだ目標となってくれている。とても恥ずかしくて挨拶にいける分際ではない。

もっともっと精進して、少しでも近づけたと感じることができたなら、「生意気ばかり言ってすいませんでした」と謝りにいきたい。

「もしかしたら、自分で自分のことを凄いと思ってないだろうな」

と、また怒ってくれるだろうか。

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