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2006年10月

2006年10月27日 (金)

また一人の勇者が現れた

ガレ兵(株)の大阪支店が誕生した。
また一人の勇者が現れたのである。

個人でダブルに挑み、北京でSPに勝利したそうだ。

実は彼とは面識がない。

先週、とある方を通じてガレ兵の携帯に電話をもらい「いつもガレ兵を読んでます」とのことであった。受験直前であるということも聞いていた。

昨日「合格した」とのメールを受けて、すぐに電話をかけた。
「とても苦しかったが乗り越えることができた」という充実感にあふれていた。

キャリアに勤務しているということで、そういう意味ではキャリア時代にトリプルを達成したガレ兵と立場は似ているのかもしれないが、ガレ兵の場合はSIer勤務時代もあり、その背景は大きく違う。

そういう状況にあって個人での海外受験。
素晴らしいという言葉しか見当たらない。

噂によるとガレ兵とはひと回り以上も若いらしい。
完全な世代交代がやってきたようだ

ダブルを持っているとかそういうことが重要ではないと思っている。決して最後まで諦めない心を持っているかどうか、それを問われるのがこの試験、特にマルチへの挑戦である。

いつも言うことであるが、踏み出さない人に文句は言わせない。多分、彼も同じことを思っているはずである。

今日から三日間の休養である。

まずは疲労した体を休めてください。
本当におめでとうございます。
挑戦する気持ちを持っていることに対して素直に尊敬します。

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2006年10月22日 (日)

死ドニーでのホテルアップデート

最近、全くCCIEネタを書かないので読者離れも激しい今日この頃である。反省しております。

先週末、熱心なガレ兵ブログファンの方のお二人から電話を頂いた。ありがたいことです。ただ、私は普通のおっさんなので、、、

それでそのうちのお一人は死ドニーでの受験経験もあり、貴重なホテル情報を公開して頂いた。今までSEBELをベストと紹介してきたが、下記もなかなかであると思う。SEBELよりもシスコにも近いし、ホテルにコンビニもあると書いてある。BB環境もある。

http://www.savillesuites.com/default.asp?action=article&ID=34

SEBELは単なるアパートメントで本当に何も無いホテルであるが、このSavilleSuitesは様々な装備面からもお奨めであると思われる。私が過去に公表した地図と見比べてみるといいだろう。

ただ、一点だけ不満がある。
伝説のカツ丼を食べることができる Westfield Shoppingtown までは遠くなるのである。と言っても歩いて5分くらいだが。伝説のカツ丼を重視するのであればSEBELだろう。そんなヤツいないと思うけど。

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2006年10月16日 (月)

はじめから派手なウェアを着ろ

こんばんは。トレーニング評論家のガレ兵です。

さて、今日は全く違う観点からジム通いにメスを入れたい。これはジム通いをしている人に共通認識だと思うが

はじめから派手なウェアを着ろ

である。

どういうことか。

初めてジムに行くときにはあまり意識もせずに、Tシャツなどを着て行くだろう。それが普通だ。私もそうだった。しかし、何ヶ月か通う内に心に変化が生じるのである。つまり、、、

ちょっと格好良いウェアを着たい

である。汗を良く吸い取る素材を着たい、ということもあるだろう。その時に突然のイメージチェンジをするのが恥ずかしいのである。私のような毎日通うヤツは全員の変遷を良くみている。誰がどんなウェアを着ているかなど、全て記憶している

そんな中で突然のイメージチェンジは勇気のいることである。私も白いTシャツから黒系のトレーニングウェアに変更するのにかなり悩んだものである。

だから、「はじめから派手なウェアを着ろ」である。少なくともTシャツの色を毎回変えるなどの工夫は最低限やっておくべきである。来る「トレーニングウェアデビュー」にそうやって備えておくべきである。

ただ、現在、私の通うジムには上下ともに蛍光イエローのウェアを着ている男性がいる。上下ともに、である。彼は最近、ジムに来るようになった輩である。これはやり過ぎの失敗例である。あなたは普通のTシャツを着なさい

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2006年10月15日 (日)

釣りに行ってきた

Onga

九州を代表するトップバスプロの栗ちゃんから誘われてバス釣りに行ってきた。自分のバスボートはちょっと修理が必要な箇所があって出船できないので同船させてもらったのである。

朝の5時45分に遠賀川上流に集合。

11時までの約5時間で何とか一本釣ることができた。
かなり小さいが。。。

栗ちゃんは6本ほど釣ったようであった。
さすがである。

いつも同船させてもらっている。
自分のボートを準備しなくていいだけで負担はかなり減少するので感謝である。

今日はそれから第一回目のジムに行って、車の修理のためにディーラーに行って、さらにセゾンに行って、次にホンダショップライフに行って、それから第二回目のジムに行ってきた。

明日は宮崎までZ1000をウィリーさんに返却に行くので、さっき積み込みが終了した。

ちょっと疲れた。

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2006年10月11日 (水)

鈴鹿は特別な場所だった

F1の鈴鹿での開催にひと区切りがついた。あくまでF1の話であってバイクの世界選手権などは今後もツインリンクもてぎと鈴鹿の両方で開催されるであろう。そういう意味ではバイクでのレースの世界を走ってきた私に必要以上の感慨はないのであるが、「最後の鈴鹿」とあまりにも騒がれるので、どうしても意識してしまう。

鈴鹿は特別な場所だった。

当時ノービスというクラス(その後国内B級などと名前を変えたが)を走っていた私は鈴鹿に特別な思いを抱いていた。このサーキットで早く走らなければ認められない雰囲気が一流のライダーの間でもあり、一流ではなかった私でも特別な思いを感じていた。

鈴鹿で速いライダーはどこのサーキットでも通用した。

1991のシーズン開幕直前。HRC(ホンダレーシング)主催の走行会が鈴鹿で開催された。時々開催されるので開催そのものは特別なことではない。私は年に一度だけ開催される「ノービスのフルコースのレース」の出場に焦点を定めていた。実は鈴鹿は東コース、西コースと、ショートカットすることで半分半分を使えるようにできていて、ノービスの選手権は通常は半分のコースで開催されていたが年に一回だけフルコースのレースがあった。それに出場したいと思った。

F1の中継でもバックストレートを走る車載映像に、路面に引かれたグリッド線が映り込むが、これは西コースのスターティンググリッドである。だからバックストレートにはタイム計測のためのタワーが立っているのである。

HRCの走行会というのは、海外のGPに参加しているライダーや国内でもトップクラスのライダーが参加するものでチームライフからもエースのライダーが行くことになった。それに無理を言って一緒に行かせてもらうようにした。もちろんライフの社長の顔もある。あまりにもしょぼい走りで周囲に迷惑をかけるとライフが怒られてしまう。だから社長も迷っていたようだったが「どんなことになっても批判は俺が受けるから」と行かせてくれた。

一台のハイエースに2台のバイクを積んで夕方の19時に会社が終わってから北九州を出発した。中国自動車道は積雪でチェーン規制がかかり大変だった。トンネル内でチェーンが切れてダメかと思いながら何とか朝の6時には鈴鹿に到着した。

パドックは雑誌で見たことのあるライダーばかりである。以前書いたことがあるが、隣のピットは若井選手だった。若井選手は世界GP125CCへの参戦を坂田選手とともに決めていた。残念ながら若井選手はその後250CCに転向後、ヘレスサーキットで他界するのであるが。若井選手が整備しているところに坂田選手や上田選手が遊びに来ていた。上田選手は第二戦の鈴鹿でスポット参戦で優勝し、その後世界に旅立っていった。

正直、雰囲気にビビッていた。

走行開始。

一週目のヘアピン立ち上がりでいきなり転倒。走行枠は90分だから、85分くらいはヘアピンのところのコースポストから呆然と見ていた。午前の走行終了。

やべぇ。壊れたところを修復しないと午後が走れない。テクニカルスポーツに部品を買いに行って
「チャンバーのステーと右のステップバーの在庫ありますか?」
と聞いたら
「自分で部品番号調べてから注文して下さい」
と言われてトホホであった。そこに若井選手が現れて
「xxxxxの部品ある?」
って聞いたから
「部品番号調べろよ!」
とか思ってたら、店員さんが
「あぁ、あるよ」
だった。扱いがまるで違うよ。。。。当たり前か。

午後の走行、一応走れたが走りがバラバラだった。ダンロップとかまっちゃんとか、生命の危険を感じた。一応、ライフにはクレームが入らなかったようである。

夕方に鈴鹿を出発して早朝に北九州に到着。そのままネクタイをして会社に向かった。

そこまでして準備して望んだ5月のレース。予選に400台くらい集まり、わずか35台が決勝に進む。私は予選100番手くらいであっさりと敗れ去った。

あの鈴鹿を機会があればまた走りたい。F1が走らないだけだから今後も走るチャンスはあるだろう。

鈴鹿は特別な思いにさせてくれる熱い場所だった。
そこを目指した気持ちをいつまでも忘れない。
私にとっては資格も仕事も、そして遊びも同じ気持ちでやっている。
だから誰にも負けたくない。

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2006年10月 5日 (木)

今なら書ける

私は2003年のオートポリスの秋のイベントレースに出場している。エキスパートクラスと言われる、とにかく何でも有りというカテゴリーで、そのイベントで一番速いライダーたちが出場する。

その時点で5年間、全くバイクに乗ってなかった。

マシンはチームライフの母体であるホンダショップライフさんから借りた。正確にいうと、ホンダショップライフさんがHRCから提供されたものを私が借りた形である。ライフは8時間耐久にも出場し、HRCの指定ショップもやっている名門なのである。

マシンはCBR954。当時、ホンダの最強のバイクであった。しかし、全くのノーマルで一切の改造をやってない。でも、周囲はライフからのエントリーということで
「ライフさんのバイクだからすごく速いんでしょ」
と、言ってくる。

この時は何度か練習走行に行った。だが、仕事との関係で精神的に不安定でもあり、集中力に欠けていた。本当は絶対にやってはいけないが、同行者無しで練習に行って、見事に転倒した。サーキット走行は同行者がいないとできない規則である。だって怪我をしたら帰れなくなるから。

この時点でレースの3日前。すぐに壊れた箇所をライフに連絡し、パーツの在庫状況を確認してもらった。FRPのカウルもバラバラになったが自分で補修した。前日の土曜に全てのパーツが揃い、修復してそのまま夕方からサーキットに向かった。ちなみにこの転倒一発で20万円ほど吹っ飛んだ。

その時点で負けていた。
集中力に欠け、しかも、闘う気持ちを失っていた。

レース当日。
予選は雨。

レインタイヤをタイヤサービス(ライフ)で購入したが、それだけですごい出費。私はチーム員ということで安く買っているので金額を公表しないが、それでも3万とか、そんな安いお金では決してない。

決勝直前に路面はドライに変わった。
流れが最悪だった。

新品のスリックタイヤを持っていたのに、もう、混乱してしまって、2時間ほど走行したタイヤで決勝を走る決心をした。どうしてそんな馬鹿な判断をしたのか、今もって分からない。2時間も走行したタイヤは、普通は捨てるものである。レースなんだから、いくら散財しようと、常に一番速く走れる方法を考えないといけないのに、お金にビビッていたこともある。

結果、決勝は惨敗。

転倒車が出て、それを避けるために一度はダンゴ状態になったのに、そこからズルズルと後退してしまい、追いかける執念も持ち合わせていなかった。もちろん、バイクがバイクなので、Z1000で出したタイムよりははるかに速いタイムは出しているが、それは相対的なことで、全然負けである。

ガレージ兵頭のメインHPのレポートに書くこともできなかった。
封印したい記憶だった。

このレースのことだけは、絶対に書くことはないだろうと思っていた。

あれから3年。
やっとその呪縛から解き放たれた気がしている。

闘う気持ちを確認できた。
タイムがどうのこうのではない。

だから、やっと、今になって書けた。
もう負け犬にはなりたくない。

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2006年10月 3日 (火)

納得している

今回、レース自体を走ることはできなかった。
でも、納得できている。

W2

私は一応は賞金レースに出ることができる国際ライセンス持ちである。
だから、「ぶっつけ本番だからタイムが出ない」という言い訳はできれば言いたくない。
でも、どれくらいのタイムを出せば及第点なのか判断できない。
市販車の改造クラスはマシンのポテンシャルの判断が難しいのである。

じゃあ、他車のタイムを判断基準にしてみようと思った。
ライセンスは国際ではないが、Z1000は春のレースに2台出場していた。
話を聞いてみると、Z1000のノーマルでは戦闘力があまりにも低いとのこと。足回りが特にプアーであり、前後ともにZX-9R等のサスペンションを移植するのが定番とのこと。インジェクション仕様のエンジンもパワーが出ないのでキャブレター仕様とし、FCRキャブを付けるのが正統らしい。それでその人たちはオートポリスを2分11秒くらいで走っている。もちろん自分のマシンなので乗りなれていることもあるだろう。ノーマルだと2分15秒くらいしか出ませんよ、と言っている。

じゃあ、俺はノーマルで2分8秒を出そう。

土曜の練習走行。

1回目の走行はマシンの様子を見ながらの走行。タイムアタックはしない。ブレーキングポイントとアクセルオンのポイントを確認しながらの走行。全開走行はしない。2分20秒で終了。

2回目の走行は全開走行。全体に走りが安定しないが確認すべきポイントを押さえていく。ストレートで220キロしか出ていないことが判明した。1000ccのバイクでこれは遅い。パワー不足も当然の判断か。2分14秒で終了。(ウィリーさんの売り物のバイクなのでスピードメーターが付いているのである)

3回目の走行。いきなり転倒者が出て赤旗中断。回収のため走行が10分程度待機となる。残り15分程度。握力の状態が思わしくないため、4回目の走行はできないだろう。この走行でタイムアタックしたい。だが、周回数が少なくなりわずか5週でチェッカーが振られた。最後の一周。遅いバイクを2台抜きながらの周回でチェッカーを受ける。刻んだタイムは2分10秒前半。クリアラップで走れば2分9秒には入っているだろう。全体的にまだ余裕を持って走っている箇所が多く、それらの部分を攻めればあと2秒は縮めることができるだろう。計算すると2分7秒台を出せると確信できた。

決勝で絶対に2分8秒を切るつもりだった。

結果、既報のように霧でレースは中止となった。
でも、今回は納得できている。

次、どのクラスで何のマシンに乗るのか全く決まっていない。
しかし、闘争心が衰えない限り、速く走る気持ちは失わないだろう。
その気持ちを確認できたことで、納得できている。

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2006年10月 1日 (日)

霧のためレース中止

Ap_1

霧のためにレース自体が中止になってしまいました。
オートポリスのレースで、私が中止を経験したのは2回目です。
仕方ないですね。

別途レポートしようと思いますが、実は雨が思ったよりも浅かったので、予選出走の直前に走ることを決定して、ダンロップのサービス(所属チームであるホンダショップライフがやっている)に慌ててレインタイヤへの交換をお願いしたところで、霧が発生してしまい、しばらく様子を見ていたのですが、中止になってしまいました。

次、また頑張ります。

今回、つぎ込んだお金。
プライスレス。。。
(CCIEのラボ費用など軽く越えるので、計算したくありません。。。)。

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