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2007年2月 6日 (火)

子供がいじめを克服した

今回のエントリーはコメントを受け付けない。
また、数日間の公開の後で削除することを決めている。

うちの子供がいじめを受け、悩んでいた。

きっかけは何ということはない。元々、いじめられていた子の友達だったことでいじめの対象になったようだ。女の子で小学校五年生である。

叩かれたりとか、そういうことはなかったようであるが、教室に行けない日々が続いた。それでも学校に行かないといけないという気持ちで、保健室で勉強を続けていた。

普段、あまり家にいない私はこの事実を知らなかった。ある時、子供と話す機会があった。泣きじゃくるわけではなく、淡々と、でも流れる涙を拭おうともせずに、自分の苦しい状況を話してくれた。

担任と校長は何もしてくれない。いじめられているということを認めてくれない。そればかりか「ここに相談してみたらどうか」と、何かの施設みたいなところを教えてくれるだけであった。その施設も何もしてくれず「様子をみましょう」と言うだけだった。世の中でいじめで自殺が起きるといつも問題になる、あの状況そのままである。

今までの友達も、一緒にいじめられたくないから離れていった。学校では誰も助けてくれない。ただ、保健室の先生だけが心の頼りで学校に行っていた。

そういえば、土日もどこにも遊びに行かなくなっていた。いつもどこかに遊びに出ていたので家にいることが少ない子供だったが、いつの日からか、ずっと家で勉強したりパソコンで調べ物をしたりしていた。

年賀状を書くのも悩んでいた。こちらから出して、それがいじめのネタにされるのではないか、とずっと悩んでいた。それでも「この人は年賀状をくれるだろう」と思った友達には年賀状を出した。元旦の朝。やはり一枚も年賀状は来なかった。あんなに寂しそうにしている子供を見るのも初めてだった。

メガネ屋さんから挨拶の年賀状が来ていたが、それを「一枚だけ来た」と親に言う子供の気持ちはどういうものだろうか。

次の日、二枚だけ年賀状が届いた。引っ越していった友達と、そろばん塾で一緒の、他校の友達だ。子供が小さな小さな声で「やったっ」とつぶやいていたのを忘れることができない。

本当に自殺するのではないかと思った。

出張でずっと東京にいるので話す機会がない。焦った。電話で毎晩、子供と話した。子供からメールも毎日届いた。いじめっ子たちは、怪我をしたとウソをついてまで保健室にやってきて、言葉でいじめてきた。

校内で身体検査があり、保健室がその会場になった。子供はいる場所がなくなった。学校に行くのが怖い、寝ることができないとメールが届いた。

そんな思いまでして行く学校って何だろう。

四年生までは、姉が年長にいたので、それが怖くていじめの対象にならなかったのだが、姉が卒業して中学校に行ったので、それでいじめられるようになった。

学校に行かなくてもいい。苦しい思いまでして学校に行かなくていい。

でも、子供は行きたいと言った。あと一年頑張れば、中学校には姉がいるからいじめられることはない。だからそれまで頑張ると。
でも

「おねぇちゃんが中学校を卒業したらどうなるかわからない。でも、それまで頑張る。学校にはちゃんと行く。」

と言う。大人だったら簡単に会社を辞めたり仕事を変わったりするところだろう。でも子供は逃げ道がない。そんな思いまでして行く学校って何だろう。

それから勇気を振り絞って教室に行って、みんなと一緒に勉強をするようになった。ひとり、また、ひとりと、話しかけてくれるようになった。

「今日は、誰と、誰と話をした。算数がわからない友達がいたんで教えてあげた。」

と電話で話してくれるようになった。元々、理由の無いいじめである。解決に向けて少しずつだが進んでいった。それでも教室にいると苦しくなるという。精神的なものだろう。

自分で解決できるなら素晴らしい。
頑張れ。

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